会社概要

マーク

[ 所在地 ] 〒220-0072 神奈川県横浜市西区浅間町1-7-6 小金井第一ビル201

[ 電話 ] 045-534-9274


[ バックグラウンド ]

会社概要の内容だけでは、人間味も伝わらず面白くないのでストレートな自己紹介をしたいと思います。

高校を卒業するまで、僕は青森県十和田市という極めてマイナーな田舎に住んでいました。今の高校生と違って、楽しい遊びも殆ど何もない。ただし、僕の祖父や両親、その他の親戚は殆ど会社経営をしていた為、自分も将来事業を起こしたい、起業したいという気持ちは中学生の頃からありました。

商売の世界へ飛び込むキッカケは実に簡単でした。それは自分が好きな事をさらに突っ込んで身に付けたいと志願しただけ。僕は中一から実家で画像の飼育を任されていたので、興味があった画像専門店に「無料でいいので働かせてください。御代を頂かない代わりに、商売に裏側を見せてください」と伝えた。しかも、2社異なる経営者に。勿論、どちらの経営者も快くOKしてくれた。なぜ2社か?それは簡単。異なる経営者のやり方を同時進行で学ぶのが一番商売を学べると思ったから。直ぐに僕は月曜日~金曜日の午後5時から9時まではA店で、土日はB店で朝から晩まで働き始めました。僕の高校3年間は、実に中身の濃い3年で、学校の黒板からは学べない商売のイロハを2人の経営者から叩き込まれました。

勉強の様子


しかし、僕が高校を卒業する時は既に90年代後半でバブル崩壊した時期。それまで1匹20万、30万円でも売れていた贅沢品である画像業界は他の業種と同様成長を期待できない業界だと感じました。そして高校卒業後は、自分自身にもっと挑戦しようと思い、言葉も分からないアメリカへ行きビジネスを学ぶ事を決心しました。

学生時代の様子

ちなみに中学・高校では全く勉強に興味が無く圧倒的に最下位クラスの成績だったにもかかわらず、ちゃんと起業経営学の専攻で大学を卒業しました。とにかく負けず嫌いで、強気の僕は「何が何でも卒業してやる」といつも思っていました。渡米時は全く英語も分からなかった僕ですが、ルームメイトや現地の友達と直ぐに仲良くなれたお陰で、英語でのコミュニケーション力を身に付けれました。

ちなみに、「会話が出来ないと馬鹿に見られる時があります。」これは、どこの国でも、そう思う心無い人がいるはずです。そのせいで、僕もかなり恥をかいた時もありました。でも、「I really don't CARE!」です。英語の文法や発音うんぬんは、どうでもいい事です。僕は異国の地で、ひるまずにやり合う姿勢を身に付けました。そう考えると、今でも周りの人々には感謝の気持ちでいっぱいです。図々しい、又はたくましくなったと思います。

 

大学卒業後アメリカで会社を起こそうと弁護士へ相談に行きましたが、資本金1億円を用意できないと設立できないと言われました。大学卒業して直ぐの僕にはとても用意できる金額ではありませんでした。で、あれば資本金100万円でも起業できる日本で会社を始める事を決めました。そして2006年に神奈川県横浜市でコンサルティング会社を立ち上げます。創業の際に加わってもらったメンバーとニッチな分野に特化し、全国中のクライアントをサポートしています。そして、2010年より自社で輸出プロジェクトを始める為にコンサルとは別の貿易プロジェクトの準備を始めました。研修を受けたり、インポーターの開拓、蔵元さんとのお付き合いを開始し、翌年無事に免許を取得しました。今現在、日本の蔵元との連絡のやり取り、そして海外とのコミュニケーションを毎日しています。



なぜ、輸出事業を始めたのか?

誰でもキッカケや理由があって行動を起こすのは当然。僕が輸出ビジネスを始めようと思った理由は実に単純でした。


(1) 自分が持っている「考え・語学・行動力・図々しさ」を世界中を相手に仕事という形で活用したい

(2) 誰もが直ぐに始める事が出来ない、難しい仕事をやってみたい

(3) 輸出後の「市場を育てる」というパートに自分のアイディア・行動を役立てたい

(4) 海外で輸入出来ずに困っているインポーターがいるなら、彼らの要望に応えるように役立ちたい

(5) 緩やかにしか伸びない全体の輸出量をBoost Up出来ないか挑戦してみたい


僕がやりたい事は、自分の考えで動き、狙ったマーケットを攻める事。
結果が出るかどうか、何でも挑戦する。ただ、それだけです。


卸・酒販店・スーパー・レストラン向けに輸入者と一緒に酒のプロモーションも行う


よくピーク時に比べると何割減少したという話があります。国税庁が発表している製成数量の数字を基に具体的に計算をしてみると、ピーク時とよばれる1973年は「1,421,000 kl」。近年2011年の数字は「601,807 kl」。つまり、ピーク時から38年の間に「57.65 %」の減少をしています。 また、酒蔵の数も戦前(昭和15年頃)には約7,0000あった酒蔵の数が現在は1,642蔵に減少。実際に酒造りをしているのは1,200~1,300蔵とも言われているそうです。蔵によっては、ピーク時より売上が1/10になった所もあるようです。


トレンドを見ると、減少傾向にあるのは数字が表していますが、


  • 柔軟な経営戦略
  • 求められる質の商品を造る
  • 営業だけに頼らないマーケティング戦略
  • 行動力

これらが揃っている蔵だけが過酷な競争でで生き残り、発展をしていくのではないでしょうか。しかし、これはどの業界でも当然の様に同じ事が起きています。ご存知の通り、造って置いておけば売れる時代は90年代前半辺りで終わっています。流通チャンネルは過去20年にチェーン又はフランチャイズ化、インターネット化と劇的に変化し続けています。その中でも伸びている蔵はあります。ですから、衰退しているのではなく、環境の変化に対応出来ている蔵が残っていき発展しているのだと思います。国の支援を期待するのも危険です。支援が無くなり次第、自分達の打てる弾は無くなる訳ですから…。依存しないでリスク分散をする糸口を見つけ、まずは行動を起こす事が大事なはずです。


ニュースやデータを見ると、「2012年、清酒の輸出は89億円で過去最高を記録」と聞きますが、僕は輸出をするに当たって現在の状況は厳しい環境にあると実感しています。海外と商談をしていても、まだまだ取引に難色を示す輸入者も多いです。「輸出すれば売れる」という甘い考えでは、「置いておけば売れる」という考えと同じです。そんな考えでは長く続かないというのは目に見えています。


一番重要なのは、相手が「欲しい」という商品・サービスを提供出来るかどうか。ニーズに応えれる姿勢がポイントだと確信しております。ですので、日本酒の輸出ビジネスにおいて重要なのは


  • 「欲しい」と声を上げる輸入者を開拓するマーケティング
  • 現地に輸入されても売れないのであれば、現場を改善する事
  • リピートされるように輸入者と一緒になって市場を育てる事
  • Sakeというカテゴリーが現地で認知されるように活動する事

こういった事が求められるはずです。その様な仕事は、今日明日出来る話ではありません。長い目を見て挑戦し続ける熱意が必要なはずです。1979年生まれの僕には、経営者として残り約30年の時間があります。この有限な時間を効率良く使い、リスクも分散しながら酒類貿易ビジネスに挑戦していきます。自分が使える30年という時間でやりたい事が見つかっている事は、とても幸せな事です。そこに情熱を注いでいきます。



自分が輸出したいと思う酒蔵の酒だけを輸出したい

普段色々な蔵元に会って、輸出したい酒を探す時に必ず頭に入れている事があります。


(1) ○○金賞受賞

(2) 蔵の歴史は○○○年

(3) 名水百選の水を使用

(4) ○○という酒米を○○%まで研いています

(5) ○○杜氏が蔵にいます


これら5つの事には、僕はあまり興味がありません。その他大勢の同業他社も掲げる特徴は僕自身、海外のインポーターに伝えたくないからです。



輸入者に伝わるUSPがないと、選ばれない


考えてもみてください。日本から海外のインポーターに商品や蔵を説明する時は、「複数社の紹介」を一度にする訳です。例えば10社の紹介、合計30種類の商品を説明する時に、皆が同じような特徴の場合、選ぶ側は困るだけです。特に心にグッとくる特徴ではありません。事実、海外のインポーターは上記5つの話を伝えても興味が薄いです。

ですから、「相手に伝えやすい独自の特徴」をお持ちか、どうか?をプライオリティにして考えております。





緊張のone,two,three


"What's the BEST 3 things about this sake or the producer?"


お付き合いがある海外のインポーターは、こんな感じにストレートに聞いてきます。


僕達は一般消費者向けに「Sake Tasting」を行うのではなく、アルコール飲料の輸入業者へ売り込む為のプレゼンします。その中から選ばれた酒だけが、輸入業者のPortfolioにLine upとして追加されます。


つい最近もインポーターとの話し合いで、2蔵元を追加する事で話がまとまりましたが、キッカケはプレゼンです。
輸出者の僕達が力を注ぐポイントでもあります。


「輸出」と聞くと、最近ニュースでよく耳にすると思われる方も多いかと思いますが、実務的には難易度も高く、いきなり数量を出せる訳でもありません。そんな遣り甲斐のある仕事に魅力を感じています。



タイトル仕事のスタイル

  • シンプルで分かりやすい言葉を用い、専門用語は使いません
  • 目を見てお話しを伺います
  • けして偉ぶりません
タイトル私たちに出来ない事

  • まる投げされたものをお受けすることはできません。

    日本酒の輸出プロジェクトは
    (1)海外のインポーター
    (2)日本の蔵元さま
    (3)輸出エージェント
    の3者による協同作業です。

    一方的に、「この商品を売ってください」というお話にはご対応できませんので
    ご了承をお願い致します。

  • 上記3者の一人だけが得する様な事は出来ません。

  • 「外国の方なら味が分からないだろう」
    とお考えの蔵元さまとは一緒にプロジェクトを進めることが出来ません。
タイトル中野の一言プロフィール

 

 

生年月日

1979年(昭和54年) 6月21日生まれ

血液型

A型 掃除好き?

経歴


  • 青森県三沢高校卒業

  • アメリカ フロリダ州 Santa Fe Community College 卒業

  • アメリカ フロリダ州 The University of Central Florida 卒業: 起業経営学専攻

  • 卒業後帰国し、2006年に起業経営・マーケティングがメインのコンサルティング会社を立ち上げ、 酒類業界に特に特化する

  • 2011年:  Certified Sake Professional (CSP)合格
  •  
  • 2012年:  Advanced Sake Professional (ASP)合格

  • 現在にいたる

趣味


  • 植物を育てる事(観葉植物・ハーブ・野菜)
  • 料理: 海外生活で生き延びる為に始めた料理が今では趣味の1つに…
  • 日曜大工: ホームセンターコーナンに行くとワクワクする。最近はワイン棚を作成
  • 水泳: 目の前に区営のスポーツジム・プールがあるので良く行きます
  • 読書: マーケティング関連の本は年間を通してかなりの数を読みます

好きな言葉


「Two heads are better than One」


亡くなった大学時代の親友が教えてくれた心に残る言葉です。

和訳: 「一人で問題にぶち当たるのではなく、皆で協力すれば解決の糸口がみつかる。」

 

得意な事


  • ゴールに向かって集中する事
  • ダイレクトレスポンスマーケティングを使っての集客

苦手な事

マイナス思考の考えを聞かされること。ネガティブな考えの方と時間を過ごす事。酢の物。

大切にしているもの


  • 仕事・プロジェクトへの情熱(パッション)
  • 仲間・友人との関係
  • 嫁への愛情

モットー


  • 人生の先輩の貴重なお言葉に耳を傾ける。
  • 一本すじの通った人間であり続ける。
  • 常に新しい事を取り入れる考え方を持ち、好奇心旺盛にトライする姿勢。